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東京高等裁判所 平成8年(行ケ)110号 判決 1998年3月11日

東京都港区南青山2丁目1番1号

原告

本田技研工業株式会社

代表者代表取締役

川本信彦

訴訟代理人弁理士

下田容一郎

齊藤繁

東京都千代田区霞が関3丁目4番3号

被告

特許庁長官 荒井寿光

指定代理人

築山敏昭

吉村宅衛

小川宗一

主文

原告の請求を棄却する。

訴訟費用は原告の負担とする。

事実及び理由

第1  当事者の求めた判決

1  原告

特許庁が、平成7年審判第22913号事件について、平成8年3月27日にした審決を取り消す。

訴訟費用は被告の負担とする。

2  被告

主文と同旨。

第2  当事者間に争いのない事実

1  特許庁における手続の経緯

原告は、昭和60年5月27日、名称を「電動式パワーステアリング装置の電動機駆動回路」とする発明(以下「本願発明」という。)につき特許出願をした(特願昭60-113498号)が、平成7年9月26日に拒絶査定を受けたので、同年10月26日、これに対する不服の審判の請求をした。

特許庁は、同請求を平成7年審判第22913号事件として審理したうえ、平成8年3月27日に「本件審判の請求は、成り立たない。」との審決をし、その謄本は、同年5月29日、原告に送達された。

2  本願発明の要旨

操舵トルクに対応した補助トルクを発生する電動機を、PWM駆動により制御する電動式パワーステアリング装置の電動機駆動回路において、4個の電界効果トランジスタを用いてブリッジ回路を構成し、このブリッジ回路の入力端子間に電源を接続する一方出力端子間に電動機を接続し、ブリッジ回路の互いに対向する対辺となる一組の電界効果トランジスタのうち、一方の電界効果トランジスタをオン駆動させるとともに他方の電界効果トランジスタを可聴範囲外の周波数でPWM駆動させる構成としたことを特徴とする電動式パワーステアリング装置の電動機駆動回路。

3  審決の理由の要点

審決は、別添審決書写し記載のとおり、本願発明が、特開昭59-130780号公報(以下「引用例1」といい、そこに記載された発明を「引用例発明」という。)記載された発明及び昭和58年12月28日株式会社コロナ社発行の「コンピュートロール」No.4の76~79頁(以下「引用例2」という。)の記載事項に基づき当業者が容易に発明をすることができたものであるから、特許法29条2項の規定により特許すべきものとすることができないとした。

第3  原告主張の審決取消事由の要点

1  審決の理由中、本願発明の要旨、本願発明と引用例発明との一致点及び相違点の各認定は認め、相違点についての判断は争う。

審決は、本願発明と引用例発明との相違点についての判断を誤った結果、本願発明が引用例発明及び引用例2の記載事項に基づき当業者が容易に発明をすることができたものとの誤った結論に至ったものであるから、違法として取り消されなければならない。

2  相違点についての判断の誤り

審決は、本願発明と引用例発明との相違点、すなわち、「本願発明では、トランジスタとして『電界効果トランジスタ』を使用すると共に、PWM駆動する周波数を『可聴範囲外』としているのに対し、引用例1に記載されたもの(注、引用例発明)は、トランジスタが『電界効果トランジスタ』ではないと共に、PWM駆動する周波数が『可聴範囲外』でない点」(審決書4頁13~18行)について、「引用例2には、PWM駆動させる構成とした電動機駆動回路において、電界効果トランジスタを採用し、PWM駆動する周波数を20kHzとすることで、制御性や低騒音化などの高品位を図れることが開示されている。」(同6頁2~6行)としたうえで、「したがって、トランジスタに『電界効果トランジスタ』を用いると共に、PWM駆動する周波数を『可聴範囲外』の周波数とし、本願発明の構成とすることは、引用例2記載事項に基づき、当業者が格別の困難性なく、容易に想到することができたものである。」(同頁7~12行)と判断したが、誤りである。

(1)  すなわち、本件明細書に記載された電動式パワーステアリング装置の電動機駆動回路に関する従来例は、バイポーラ型トランジスタによりブリッジ回路を構成するものであったために、車載バッテリによる12Vの供給電圧を駆動電圧とし、バイポーラ型トランジスタの飽和電圧が高いことに伴い電圧損失、電力損失を増大させること、また、放熱のために電動機駆動回路の大型化を招くこと、電動機のPWM駆動時に可聴範囲内の周波数で発振音が発生し、耳障りな騒音を生じさせることなどの問題を有していた。本願発明は、このような問題を解決するため、電動式パワーステアリング装置の電動機駆動回路のブリッジ回路に電界効果トランジスタを用いるとともに、可聴範囲外の周波数でPWM駆動させる構成としたものである。

これに対し、引用例発明は、電動式パワーステアリング装置の電動機駆動回路において、バイポーラ型トランジスタを用いてブリッジ回路を構成し、可聴範囲内である2kHzの周波数でPWM駆動させる構成であって、本願発明の従来例に相当し、上記各問題点を有するものである。引用例1には、低駆動電圧で大電流容量とすることによる電圧損失・電力損失や発熱の問題、電動機を可聴範囲内の周波数でPWM駆動させることによる騒音の問題の記載はない。すなわち、引用例1には、かかる技術課題の認識がなく、本願発明の目的、作用効果を示唆するものではない。

(2)  引用例2は、産業用ロボットの電動機駆動回路を前提とし、産業用ロボットの技術分野で小容量の電界効果トランジスタが実用段階に入った旨を示唆するものであるが、電動式パワーステアリング装置に関する本願発明と、産業用ロボットに関する引用例2とでは、その技術分野を全く異にするものである。

この点に関し、被告は、本願出願当時、電界効果トランジスタを用いて直流モータの駆動回路を構成することは、直流モータ駆動回路一般に適用される汎用技術として周知であるとしたうえで、本願発明も引用例2に記載された事項も直流モータ駆動回路に関するものであるから、引用例2が本願発明と技術分野を異にするものであるとするのは誤りであると主張する。

しかしながら、電動式パワーステアリング装置も産業用ロボットも、電動機駆動回路という観点からは、同一技術分野に属するとしても、電動機駆動回路自体を、装置としての電動式パワーステアリング装置や産業用ロボットに実用的に適用する場合には、機能、性能、駆動条件、使用環境等、それぞれの装置に要求される特有の仕様を満足させる必要があり、そのまま何の発想もなく適用できるものではない。

すなわち、電動式パワーステアリング装置においては、ハンドル操作を介して発生する任意の操舵力に対する応答性、アシスト力に優れ、操舵フィーリングがよくなるように電動機を駆動する電動機駆動回路であることが必要であるのに対し、産業用ロボットにおいては、アーム等の可動部を正確迅速に所望の位置に移動させ、所望の動作を実行するように電動機を駆動する電動機駆動回路であることが必要である。また、電動式パワーステアリング装置における電動機駆動回路と産業用ロボットにおける電動機駆動回路とでは駆動条件が異なるため、本願発明のブリッジ回路を構成する電界効果トランジスタの定格は、低駆動電圧(12V)で大電流容量(100A程度)のものであるのに対し、産業用ロボットにおいてブリッジ回路を構成する電界効果トランジスタの定格は、高駆動電圧(100~450V)で小電流容量(15A程度)のものとなる。

このように、同じ電動機駆動回路であっても、装置としての電動式パワーステアリングに適用されるものと、産業用ロボットに適用されるものとでは異なるのであり、本願発明と引用例2に記載された技術とでは、その属する技術分野を異にするものである。

また、引用例2には「パワーMOSFETは、現状では、電流の点で比較的小容量に限定されるが、ロボット用では実用段階に入ったと見てよいであろう」(甲第3号証76頁右欄13行~77頁左欄2行)との記載があり、この記載からみて、電界効果トランジスタの採用は「ロボット用」に限定されること、また、大電力用の電界効果トランジスタ(パワーMOSFET)が普通に採用できる水準に達していなかったことが明らかである。被告が提示した乙第1号証によっても、電界効果トランジスタが単に「FET」と記載されていることから見て、同様のことがいえる。

さらに、産業用ロボットは、その設置環境が騒音のある工場内であり、機械により数値制御されるものであるから、一般に騒音に対する認識は低いものであるが、引用例2においても「実用的に見て、キャリア周波数はパワートランジスタで1~10kHz、パワーMOSFETで、20kHz位である。」(甲第3号証77頁左欄10~12行)と記載され、バイポーラ型トランジスタ(パワートランジスタ)を採用した産業用ロボットの電動機駆動回路においては、PWM駆動のキャリア周波数を可聴周波数である1~10kHzとすることで低騒音化が図れるとしているから、引用例2における騒音は、PWM駆動のキャリア周波数を可聴範囲外の周波数として構成しなければ低騒音化が実現できない電動式パワーステアリング装置における騒音とは異なるものである。

また、引用例2には産業用ロボットのモータとして無鉄芯モータであるカップモータとプリントモータが示されているところ、かかる無鉄芯モータはPWM駆動時に巻線の振動による騒音の発生はあるが、鉄芯の振動による騒音の発生はないのに対し、引用例1に記載された電動式パワーステアリング装置の有鉄芯モータにおいては、PWM駆動時に巻線の振動による騒音とともに鉄芯の振動による騒音(モータ磁気騒音)が発生する。

このように引用例2に記載のある騒音は、本願発明が解決しようとするモータ磁気騒音とは全く異なるものである。

(3)  引用例発明の電動式パワーステアリング装置の電動機駆動回路が、バイポーラ型トランジスタを用いてブリッジ回路を構成し、可聴範囲内である2kHzの周波数でPWM駆動させる構成とされていることによって明らかなとおり、本願出願当時における電動式パワーステアリング装置の当業者には、電動機を可聴範囲内の周波数でPWM駆動することによる騒音、低駆動電圧で大電流容量とすることによる電圧損失、電力損失等の問題を解決するという技術課題の認識はなかったのであり、それ故に、電動式パワーステアリング装置における低駆動電圧、大電流容量のブリッジ回路において実績がなく、しかもバイポーラ型トランジスタよりも高価な電界効果トランジスタを、高度の信頼性が要求される自動車の電動式パワーステアリング装置の電動機駆動回路に用いるという発想もなかった。

本願出願当時、かかる技術水準にあった電動式パワーステアリング装置の当業者が、産業用ロボットの電動機駆動回路に関するもので、技術分野の全く異なる引用例2記載の技術事項を引用例発明に適用し、本願発明の構成とすることに容易に想到できるものではない。

仮に、本願出願当時の電動式パワーステアリング装置の当業者が、一般的な電動機駆動回路に電界効果トランジスタを採用できること、及びバイポーラ型トランジスタを用いた引用例発明の構成において騒音発生の課題があることを認識していたとしても、引用例2において、バイポーラ型トランジスタ(パワートランジスタ)を採用した場合にPWM駆動のキャリア周波数を1~10kHzとすることで低騒音化が図れるとしていることから、電動式パワーステアリング装置と産業用ロボットのキャリア周波数に起因する騒音は異なるものと判断するに至るものであり、引用例2記載の技術事項を引用例発明に適用し、本願発明の構成とすることに容易に想到できるものではない。

したがって、審決の相違点についての判断は誤りというべきである。

第4  被告の反論の要点

1  審決の認定・判断は正当であり、原告主張の取消事由は理由がない。

2  審決の相違点についての判断について

(1)  電界効果トランジスタ(Field Effect Transistor、「FET」ともいう。)は、バイポーラ型トランジスタと同様、周知のトランジスタであって、種々のものに適用されている。例えば、特開昭58-163290号公報(乙第1号証)に、直流モータ駆動回路一般の汎用技術として、従来はバイポーラ型トランジスタが採用されていたところ、これに代えて電界効果トランジスタを採用すれば、その優れた特性から、電力効率の向上、消費電力の減少、スイッチング速度の5~10倍程度の向上、部品点数の減少等を達成できることが示され、また、特許出願公表昭60-501288号公報(乙第2号証)に、直流モータ駆動回路の適用例として、カセットテープ駆動装置、自動車電動操作窓、シート、ドアロック、ウインドシールドワイパ、ロボット機械制御装置、小型工業機械等、多数の例が挙げられたうえ、直流モータ駆動回路一般の汎用技術として、電界効果トランジスタの固有の特性に着目して用いる技術が示されている。このことに見られるように、本願出願当時、電界効果トランジスタを用いて直流モータの駆動回路を構成することは、電動式パワーステアリング装置や産業用ロボットに限らず、直流モータ駆動回路一般に適用される汎用技術として周知であった。

そして、引用例2には、かかる周知例に記載されている直流モータ駆動回路と同様の駆動回路が示されており、引用例2の記載からは、直流モータ駆動回路一般に関する技術が把握できるものである。審決は、引用例2の記載事項から直流モータ駆動回路に関する一般的な技術を取り上げて認定したものであるから、引用例2が産業用ロボットに関するもので本願発明と技術分野を異にするとの原告の主張は誤りである。

(2)  引用例2には、直流モータ駆動回路において、電界効果トランジスタであるパワーMOSFET(Metal Oxide Semiconductor Field Effect Transistor)を採用することが示されるとともに、制御性だけでなく低騒音などの高品位を満たすためには、PWM制御のキャリア周波数は極力高い方が望ましいこと、実用的に見て、キャリア周波数はパワーMOSFETにおいて20kHz程度であること、パワーMOSFETについては、20kHzよりもさらに高いキャリア周波数とすることが可能であることが記載されている。

一般的に人の可聴範囲といえる周波数の上限は20kHz程度であり、20kHz程度を超えた周波数は可聴範囲外となる。したがって、引用例2には、本願発明と同様、低騒音化の課題と、その解決手段として電動機駆動周波数を可聴範囲外とすることが開示されているものである。

なお、上記(1)のとおり、直流モータ駆動回路において電界効果トランジスタを用いた場合には、その特性から電力効率の向上、消費電力の減少等の優れた効果を奏するものであるところ、原告が本願発明の技術課題として挙げる電圧損失、電力損失の低減は、このような電界効果トランジスタが有する既に知られた特性を、単に電動式パワーステアリング装置に当てはめていうものにすぎない。

したがって、引用例発明の電動式パワーステアリング装置の電動機駆動回路に電界効果トランジスタを採用し、その駆動周波数を20kHz以上、すなわち可聴範囲外とすることは、当業者が容易に想到することのできたものである。

(3)  原告は、電動式パワーステアリング装置における電動機駆動回路は低駆動電圧、大電流容量のものであるのに対し、産業用ロボットにおける電動機駆動回路は高駆動電圧、小電流容量のものであって、駆動条件が異なるから、本願発明と引用例2に記載された技術とでは、その属する技術分野を異にするとか、当業者が低駆動電圧、大電流容量のブリッジ回路において実績がない電界効果トランジスタを電動式パワーステアリング装置の電動機駆動回路に採用することが容易に想到できるものではないと主張するが、引用例2には、電界効果トランジスタが小電流容量のものでなければならないとする記載はなく、そのように限定して解すべき理由はないのみならず、本願発明の電動機駆動回路が低駆動電圧、大電流容量のものであることは、本願発明の要旨とされていることではないから、上記主張はいずれにせよ誤りである。

また、原告は、引用例2に、バイポーラ型トランジスタを採用した電動機駆動回路においてPWM駆動のキャリア周波数を可聴周波数である1~10kHzとすることが記載されていること、引用例2に記載されたモータが無鉄芯モータであり、引用例1に記載されたモータが有鉄芯モータであることを理由に、引用例2に記載のある騒音は、本願発明が解決しようとするモータ磁気騒音とは異なるもので、当業者が引用例2に開示された技術を引用例発明の電動機駆動回路に採用することを容易に想到できるものではないと主張するが、本願発明の要旨においてモータ(電動機)に限定がある訳ではなく、また、本願明細書に、騒音発生のメカニズムや有鉄芯モータの発するものに限定した騒音低減の課題等が記載されている訳でもないから、上記主張も誤りである。

(4)  したがって、審決の相違点についての判断に誤りはない。

第5  当裁判所の判断

1  審決の相違点の判断の誤りとの主張について

(1)  本願明細書(甲第5号証)には、「発明が解決しようとする問題点」として、「従来の電動機駆動回路においては、バイポーラ型トランジスタによりブリツジ回路を構成していたため、電動機のPWM駆動時には発振音が可聴範囲内の発振周波数で発生してしまい、商品性を著しく低下させていた。また、バイポーラ型トランジスタは、増幅率がそれ程高くないので、ダーリントン接続により用いられるため、コレクタ・エミツタ間の飽和電圧が高くなり損失が増大する。特に車両に用いる場合には、車載バツテリ電圧が一般に12Vであるため、飽和電圧が高くなることは好ましくない。さらに、インピーダンスがそれ程高くないため、電流容量が増大するおそれがあり、電流容量の増大に伴うコスト増大および大型化する等の問題を有していた。」(同号証2欄15行~3欄1行)と、「問題点の解決手段およびその作用」として、「本発明の電動機駆動回路は、4個の電界効果トランジスタによりブリツジ回路が構成されており、・・・マイクロコンピュータユニツトの制御信号によりブリツジ回路の対向する1組の電界効果トランジスタのうち、一方がオン駆動されるとともに他方が可聴範囲外の周波数でPWM駆動され、電動機を操舵方向に回転させて操舵力が軽減される。」(同3欄3~14行)と記載され、さらに実施例の説明中に「このように電動機駆動回路のブリツジ回路を電界効果トランジスタにより構成したことにより、可聴範囲より高い周波数でPWM駆動できるため、電動機において発振する周波数を可聴範囲外とすることが可能となり、高品性を向上することができる。また、電界効果トランジスタの増幅率が高いので、従来の如きバイポーラトランジスタをダーリントン接続により用いる必要がなく、また電界効果トランジスタの飽和電圧が低いため、電動機駆動回路の電力損失を低減でき、車載のバツテリでも充分対応することができる。」(同7欄1~11行)との記載があり、「発明の効果」としてもほぼこれと同旨の記載(同8欄6~12行)がある。

前示本願発明の要旨とこれらの記載とを併せ考えれば、本願発明は、バイポーラ型トランジスタによりブリッジ回路を構成していた従来の電動式パワーステアリング装置の電動機駆動回路において生ずるPWM駆動時の電動機の発振音による騒音の低減化、電圧損失及び電流容量の増大等の解消を技術課題とするものであり、電動機駆動回路のブリッジ回路をバイポーラ型トランジスタに代えて電界効果トランジスタで構成することにより、「増幅率が高いので、従来の如きバイポーラトランジスタをダーリントン接続により用いる必要がなく」、「飽和電圧が低いため、電動機駆動回路の電力損失を低減でき(る)」等の電界効果トランジスタ自体の特性によって電圧損失及び電流容量の増大等に伴う課題を解決するとともに、電界効果トランジスタを採用することによって可能となった「可聴範囲より高い周波数でPWM駆動」し、「電動機において発振する周波数を可聴範囲外とする」という技術手段によって、PWM駆動時の電動機の発振音による騒音の低減化を達成するものであることが認められる。

(2)  他方、引用例2(甲第3号証)には、「ロボットとパワーエレクトロニクス」との標題の下に、「ここで対象とするロボットは、一般に産業用ロボットと言われる範ちゅうで、その範囲も広い.」(同号証76頁左欄3~4行)、「特にサーボアクチュエータに焦点を当てた場合、・・・・まず速度制御性が良く、かつ精度が高いこと、次に位置決めの分解能が高く、アクチュエータとの一体化が容易であることが重要となる.」(同欄22~26行)、「DCのサーボドライブとしては、・・・・電流制御の応答性あるいは利用率の点から、現在ですべてトランジスタPWMドライブに置き替わったと見てよい.トランジスタドライブの基本形は、図1のブリッジ構成が一般的であり、最近ではさらに高速化の要求から、図2に示すパワーMOSFETを使用するケースも多くなっている.ただし、パワーMOSFETは、現状では、電流の点で比較的小容量に限定されるが、ロボット用では実用段階に入ったと見てよいであろう.」(同76頁右欄5行~77頁左欄2行)、「図3は、基本的なPWM制御の原理動作を示す.同図で周期的にON-OFFする周波数をPWMキャリア周波数と称し、電流制御系の応答、電流リップルなどを支配する重要なファクターである.制御性だけでなく、さらに低騒音などの高品位を満たすためには、キャリア周波数は極力高いほうが望ましい.実用的に見て、キャリア周波数はパワートランジスタで1~10kHz、パワーMOSFETで、20kHz位である.なお、パワーMOSFETについては、素子自身で構成される逆方向ダイオードの高速化が図られれば、更に高いキャリア周波数を可能にするであろう.」(同77頁左欄4~15行)との記載があり、図1(同76頁右欄)にはパワートランジスタ(バイポーラ型トランジスタ)を使用したDCモータ(直流電動機)駆動回路のブリッジ回路が、図2(同頁左欄)にはパワーMOSFET(電界効果トランジスタ)を使用したDCモータ駆動回路のブリッジ回路が、それぞれ図示されている。

これらの記載によれば、引用例2には、産業用ロボットにおける速度制御性や位置決め等の機能に関するパワーエレクトロニクス化に関し、サーボドライブとしての電動機駆動回路をトランジスタを用いたブリッジ構成としてPWM駆動により制御するものについて、現状では電流の点で比較的小容量に限定されるとするものの、そのブリッジ回路にパワーMOSFET(電界効果トランジスタ)を使用してPWM駆動させること、さらに、制御性のほか、低騒音などの高品位を満たすために、PWM制御の周波数を極力高くし、パワーMOSFETにおいては、実用的には20kHz程度とするが、これよりさらに高い周波数とすることも可能であることが開示されているものと認められる。そして、20kHzを超える周波数が人の可聴範囲外であることは、昭和60年2月15日株式会社岩波書店発行の「岩波理化学辞典 第3版増補版」(乙第3号証)の「可聴周波」の項の記載を見るまでもなく、技術常識であるといえる。

そうすると、引用例2には、騒音の低減化という本願発明と同じ技術課題と、上記のブリッジ回路を構成するトランジスタとして電界効果トランジスタを採用し可聴範囲外の周波数でPWM駆動させるという、本願発明と同様の解決手段とが示されているものということができる。

(3)  もっとも、引用例2は、前示のとおり、「一般に産業用ロボットと言われる範ちゅう」に関するパワーエレクトロニクス化の技術を紹介したものであるところ、原告は、同じ電動機駆動回路であっても、装置としての電動式パワーステアリング装置や産業用ロボットに適用する場合には、機能、性能、駆動条件、使用環境等、それぞれの装置に要求される特有の仕様を満足させる必要があるから、本願発明と引用例2に記載された技術とでは、その属する技術分野を異にするものであると主張する。

しかしながら、サーボドライブとしての電動機が産業分野を限定せずに汎用的に利用される装置であることは周知の事柄であり、また、前示引用例2の記載によっても、速度制御や位置決め制御、あるいは高速性という、それ自体産業用ロボットに限定される訳ではない汎用的技術概念との関係で、電動機駆動回路を電界効果トランジスタを用いたブリッジ回路によってPWM駆動とすることが示されているものと認められる。さらに、特開昭58-163290号公報(乙第1号証)に、「直流モータと、該直流モータを駆動するために、ブリッジ構成の電界効果トランジスタを有する出力手段と、該出力手段の各トランジスタを駆動する駆動手段とを備えたことを特徴とする直流モータ駆動回路」(同号証特許請求の範囲第1項)が記載され、「本発明は、ブリッジ構成のトランジスタからなる出力回路を備えた直流モータ駆動回路に関するものである。」(同1頁左下欄15~17行)、「本発明の目的は、・・・・従来の問題点に鑑み、出力段のスイッチング速度を上げてサーボ応答性を良くし、出力リップルの低減を計り消費電力を減少させ、さらには、ベースドライブ回路の部品点数を著しく減少できる直流モータ駆動回路を提供することにある。このような目的を達成するために、本発明では、出力回路のブリッジを構成しているパワートランジスタを電界効果型トランジスタ(以下FETという。)で構成したことに特徴がある。」(同2頁右上欄8~17行)、「本発明では、パワートランジスタとしてFETを使用しているが、このFETは・・・・バイポーラトランジスタに比べて・・・・スイッチング速度を・・・・5~10倍に向上することができ、それだけサーボ応答性を良くすることができ、・・・・駆動電力が少なくて済み、かつ、従来のものに比べて部品点数で約1/5に低減でき、・・・・製造コストも当然低下できる。」(同3頁左上欄12行~右上欄5行)と記載され、バイポーラ型トランジスタに代えて電界効果トランジスタを採用することにより、電力効率の向上、消費電力の減少、スイッチング速度の5~10倍程度の向上、部品点数の減少等を達成できることが、特に技術分野を限定しない直流電動機駆動回路一般の汎用技術として開示されていることをも併せ考えると、このような特性を有する電界効果トランジスタを電動機駆動回路に用いることの技術的意義が、産業用ロボットの分野に固有のものではなく、サーボドライブとしての電動機駆動回路に共通するものであることは容易に理解されるところである。

原告はまた、電動式パワーステアリング装置における電動機駆動回路と産業用ロボットにおける電動機駆動回路とでは駆動条件が異なり、本願発明のブリッジ回路を構成する電界効果トランジスタは、低駆動電圧、大電流容量のものであるのに対し、産業用ロボットにおいてブリッジ回路を構成する電界効果トランジスタは、高駆動電圧で小電流容量のものであると主張するが、本願発明の要旨には、使用する電界効果トランジスタが低駆動電圧、大電流容量のものであることについて規定されていないから、その主張は根拠を欠くものといわざるを得ない。のみならず、技術を応用する分野によってその適用の条件に差異があることは、電界効果トランジスタを電動機駆動回路に用いる場合だけでなく、およそあらゆる技術の応用についていえることであり、仮に、本願発明の電界効果トランジスタと引用例2に開示された電界効果トランジスタとの間に主張のような差異があるとしても、それだけでは引用例2に開示された前示技術を電動式パワーステアリング装置に応用することに支障があるということにはならない。

そうすると、引用例2自体は産業用ロボットに関するパワーエレクトロニクス化の技術を紹介したものであるとしても、そこに開示された前示技術事項は、電動式パワーステアリング装置の分野を含む他の技術分野に共通するものと理解することができ、その意味で、本願発明と引用例2に記載された技術とがその属する技術分野を異にするとの原告の主張は誤りというべきである。

(4)  原告は、引用例2に「パワーMOSFETは、現状では、電流の点で比較的小容量に限定されるが、ロボット用では実用段階に入ったと見てよいであろう」(甲第3号証76頁右欄13行~77頁左欄2行)と記載されていることを理由に、電界効果トランジスタの採用は「ロボット用」に限定されると主張するが、前示のとおり、特開昭58-163290号公報(乙第1号証)に、バイポーラ型トランジスタに代えて電界効果トランジスタを採用することが、特に技術分野を限定しない直流電動機駆動回路一般の汎用技術として開示されていることに照らして、その主張は誤りである。また、原告は、引用例2の同じ記載を理由として、パワーMOSFETが普通に採用できる水準に達していなかったとも主張するが、引用例2は、産業用ロボットに関するパワーエレクトロニクス化の技術を紹介したものであるが故に「ロボット用」との表現をしたものであることが、その前後の記述から窺えるところであり、産業用ロボットの分野に限ってパワーMOSFETが実用化されていたと考える根拠もないから、上記主張も誤りというべきである。

(5)  原告は、さらに、引用例2に、バイポーラ型トランジスタ(パワートランジスタ)を採用した産業用ロボットの電動機駆動回路においてはPWM駆動のキャリア周波数を可聴周波である1~10kHzとすることが記載されていることを理由とし、あるいは、引用例2に記載されたモータは無鉄芯モータであり、引用例1に記載された電動式パワーステアリング装置の有鉄芯モータから生ずる鉄芯の振動による騒音(モータ磁気騒音)の発生はないとして、引用例2に記載された騒音は、本願発明が解決しようとする騒音とは異なると主張する。

しかしながら、前示のとおり、本願発明は、電動機駆動回路のブリッジ回路を電界効果トランジスタにより構成することにより、可聴範囲より高い周波数でPWM駆動し、電動機において発振する周波数を可聴範囲外とするという技術手段によって、PWM駆動時の電動機の発振音による騒音の低減化を達成するものであり、前示本願発明の要旨に照らして、他に騒音低減化のための技術手段が本願発明の構成要件として規定されているものとは認められない。他方、引用例2においても、騒音の低減化という技術課題に対し、電動機駆動回路のブリッジ回路を構成するトランジスタとして電界効果トランジスタを採用し、可聴範囲外の周波数でPWM駆動させるという解決手段が示されていることは前示のとおりであって、その場合の解決手段の構成は本願発明と全く異なるところがない。そうであれば、その構成に伴う騒音低減化の作用効果において相違があるということはできないから、引用例2に記載された騒音が本願発明が解決しようとする騒音と異なるとの主張は意味をなさず、失当であるというべきである。

(6)  以上のとおり、引用例2には、電動機駆動回路のブリッジ回路を構成するトランジスタとして電界効果トランジスタを採用することと、騒音の低減化という技術課題に対し、その電界効果トランジスタを可聴範囲外の周波数でPWM駆動させるという技術手段とが開示されており、その技術的意義はサーボドライブとしての電動機駆動回路一般に通ずるものと理解され、本願発明とも相違するところはないものと認められるから、引用例発明に引用例2に開示された上記技術事項を適用して本願発明の構成とすることは、当業者が容易に想到することのできるものと認められる。

原告は、本願出願当時における電動式パワーステアリング装置の当業者には、電動機を可聴範囲内の周波数でPWM駆動することによる騒音、低駆動電圧で大電流容量とすることによる電圧損失、電力損失等の問題を解決するという技術課題の認識はなかったと主張するが、電動機の低騒音化や電圧損失、電力損失の減少等は、それぞれその発生のメカニズムの如何を問わず、商品としての品質向上に直ちに結びつくもので、およそ電動機に関わる各技術分野において普遍的な課題と認められるところであるから、上記主張は理由がなく、この主張に基づく、当業者には電界効果トランジスタを電動式パワーステアリング装置の電動機駆動回路に用いるとの発想はなかったとする主張も採用しがたい。

また、電動式パワーステアリング装置が引用例2に係る産業用ロボットと技術分野を異にし、あるいは、当業者は電動式パワーステアリング装置と産業用ロボットのキャリア周波数に起因する騒音は異なるものと判断するので、引用例2記載の技術事項を引用例発明に適用することが容易に想到されるものではないとする原告の主張が理由のないことは、先に説示したところから明らかである。

(7)  したがって、審決の相違点についての判断に原告主張の誤りはない。

2  以上のとおりであるから、原告主張の審決取消事由は理由がなく、その他審決にはこれを取り消すべき瑕疵は見当たらない。

よって、原告の請求を棄却することとし、訴訟費用の負担につき行政事件訴訟法7条、民事訴訟法61条を適用して、主文のとおり判決する。

(裁判長裁判官 田中康久 裁判官 石原直樹 裁判官 清水節)

平成7年審判第22913号

審決

東京都港区南青山2丁目1番1号

請求人 本田技研工業株式会社

東京都港区赤坂1丁目3番6号 赤坂グレースビル6階 下田特許事務所

代理人弁理士 下田容一郎

昭和60年特許願第113498号「電動式パワーステアリング装置の電動機駆動回路」拒絶査定に対する審判事件(平成5年2月9日出願公告、特公平5-10270)について、次のとおり審決する。

結論

本件審判の請求は、成り立たない。

理由

1. 発明の要旨

本願は、昭和60年5月27日の出願であって、その発明の要旨は、出願公告された明細書及び図面の記載からみて、その特許請求の範囲に記載されたとおりの

「操舵トルクに対応した補助トルクを発生する電動機を、PWM駆動により制御する電動式パワーステアリング装置の電動機駆動回路において、4個の電界効果トランジスタを用いてブリッジ回路を構成し、このブリッジ回路の入力端子間に電源を接続する一方出力端子間に電動機を接続し、ブリッジ回路の互いに対向する対辺となる一組の電界効果トランジスタのうち、一方の電界効果トランジスタをオン駆動させるとともに他方の電界効果トランジスタを可聴範囲外の周波数でPWM駆動させる構成としたことを特徴とする電動式パワーステアリング装置の電動機駆動回路」にあるものと認める。

2. 引用例記載事項

原査定の拒絶の理由となった特許異議決定の理由に引用された特開昭59-130780号公報(以下、「引用例1」と云う)には「操舵トルクに対応した補助トルクを発生する電動機を、PWM駆動により制御する電動式パワーステアリング装置の電動機駆動回路において、4個のトランジスタを用いてブリッジ回路を構成し、このブリッジ回路の入力端子間に電源を接続する一方出力端子間に電動機を接続し、ブリッジ回路の互いに対向する対辺となる一組のトランジスタのうち、一方のトランジスタをオン駆動させるとともに他方のトランジスタを2kHzの周波数でPWM駆動させる構成とした電動式パワーステアリング装置の電動機駆動回路」が記載されている。

3. 対比

そこで、本願発明と引用例1に記載された発明を対比すると、両者は、

「操舵トルクに対応した補助トルクを発生する電動機を、PWM駆動により制御する電動式パワーステアリング装置の電動機駆動回路において、4個のトランジスタを用いてブリッジ回路を構成し、このブリッジ回路の入力端子間に電源を接続する一方出力端子間に電動機を接続し、ブリッジ回路の互いに対向する対辺となる一組のトランジスタのうち、一方のトランジスタをオン駆動させるとともに他方のトランジスタをPWM駆動させる構成とした電動式パワーステアリング装置の電動機駆動回路」である点で一致し、以下の点で相違している。

(相違点)

本願発明では、トランジスタとして「電界効果トランジスタ」を使用すると共に、PWM駆動する周波数を「可聴範囲外」としているのに対し、引用例1に記載されたものは、トランジスタが「電界効果トランジスタ」ではないと共に、PWM駆動する周波数が「可聴範囲外」でない点。

4. 判断

原査定の拒絶の理由となった特許異議決定の理由に引用された「コンピュートロール」No.4、昭和58年12月28日、コロナ社発行)第76~79頁(以下、「引用例2」と云う)には、PWM駆動させる構成とした電動機駆動回路において、「4個の電界効果トランジスタを用いてブリッジ回路を構成し、このブリッジ回路の入力端子間に電源を接続する一方出力端子間に電動機を接続し、電界効果トランジスタを可聴範囲外の周波数でPWM駆動させる構成とした電動機駆動回路」が開示されている。

そして、その引用例2には、「図3は、基本的なPWM制御の原理作動を示す。同図で周期的にON-OFFする周波数をPWMキャリア周波数と称し、電流制御系の応答、電流リップルなどを支配する重要なファクターである。制御性だけでなく、更に低騒音などの高品位を満たすためには、キャリア周波数は極力高いほうが望ましい。実用的に見て、キャリア周波数はパワートランジスタで1~10kHz、パワーMOSFETで、20kHz位である」と説明されている。

そのように、引用例2には、PWM駆動させる構成とした電動機駆動回路において、電界効果トランジスタを採用し、PWM駆動する周波数を20kHzとすることで、制御性や低騒音化などの高品位を図れることが開示されている。

したがって、トランジスタに「電界効果トランジスタ」を用いると共に、PWM駆動する周波数を「可聴範囲外」の周波数とし、本願発明の構成とすることは、引用例2記載事項の基づき、当業者が格別の困難性なく、容易に想到することができたものである。

5. むすび

以上にとおりであって、本願発明は引用例1及び引用例2に記載された発明に基づき当業者が容易に発明をすることができたものでるから、特許法第29条第2項の規定により特許すべきものとすることができない。

よって、結論のとおり審決する。

平成8年3月27日

審判長 特許庁審判官 (略)

特許庁審判官 (略)

特許庁審判官 (略)

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